ルイ・ヴィトンの歴史【ブランド歴史紹介】#1

ブランドヒストリー

世界的に有名なルイ・ヴィトンといえば、今や知らない人はいないくらいのラグジュアリーブランドの一つですよね。

でも、最初から有名だった訳ではありません。
今回はルイ・ヴィトンがどのように世界的な有名ブランドになったのか?
ブランドの歴史やコンセプトを交えながらご紹介していきます。

興味のある方は、ぜひ参考にしてみてください。

ルイ・ヴィトンの起源とコンセプト

ブランドの始まりは、創設者「ルイ・ヴィトン」が創設した世界初の旅行カバンのアトリエ、ルイ・ヴィトンの設立からスタートします。

これは20年間、トランク製造職人&荷造り職人だった創設者「ルイヴィトン」がフランス王室から注文を受けるほどの名が知れた一流の職人だったからです。

そんな経緯からルイ・ヴィトンのコンセプトは「旅」です。

このコンセプトは、ルイの息子であるジョルジュが「Le voyage」というトランクに関するエッセイを出版して、ルイ・ヴィトンのコンセプトを浸透させようとしたほどで、結果としてブランド価値を高めることに成功しました。

ルイ・ヴィトンの歴史

では、世界初の旅行カバンブランドだったルイ・ヴィトンが、どのように一流ブランドまで成長したのか?あの人気商品はどのように誕生したのか?

ここからはより詳しく、ルイ・ヴィトンの歴史についてご紹介します。

トランク製造職人からアトリエ「ルイ・ヴィトン」誕生

1821年のフランスのジュラ地方アンシェイ村で生まれた「ルイ・ヴィトン」は、
母親をわずか10歳で亡くしています。その後、再婚した父と義理の母と仲が悪く、14歳のときに一人でパリで働くことを決意して家出をします。

パリに着くとトランク製造職人&荷造り職人であるマレシャル氏のもとに弟子入りしています。
見習いとして、マルシャル氏のもとで17年間働いた頃には、一流の職人として有名になっていました。

1854年、マレシャルの引退を機にルイと妻のエミリーは、自分たちでアトリエを開くことを決意しました。ここに世界初の旅行カバンのアトリエ、ルイ・ヴィトンが誕生したのです。

アトリエ設立後、当時の移動手段が馬車から機関車へと交通機関が発達していく変化に目をつけ、
軽い防水加工を施した、積み上げることができる平らな新しい画期的なトランク「グリ・トリアノン・キャンバス」を発案します。
これが予想を上回る大ヒットを起こし、何年もかけてアトリエをどんどん拡大していきました。

海外初のルイ・ヴィトンストアオープン〜ダミエの誕生

ルイ・ヴィトンにとって海外1号店は、設立から約30年後の1885年、ロンドンにルイ・ヴィトンストアがオープンします。

しかし、ルイ・ヴィトンの人気が増すたびに模造品が数多く出回るようになります。
そこで、模造品防止ため1888年に、日本の市松模様に着想を得た息子のジョルジュが「トアル・ダミエ」考案します。(1889年のパリ万国博覧会で金賞受賞)

現在では、ルイ・ヴィトンの象徴でもあるモノグラムよりもダミエの方が、前に発表されていたのです。

ダミエ・キャンバス
出典:LEON

2代目ジョルジュの就任〜モノグラムモチーフの誕生、人気が急速に拡大

1892年の2月27日、ルイは自宅で息を引き取りました。
会社は息子のジョルジュが引き継ぎ、全権を握ることとなった。
また、この頃に初めてのハンドバッグの販売を開始。

ジョルジュはルイ・ヴィトン社を拡大するために、世界へ発信を行っていきました。
ヨーロッパ内はもちろん、アメリカに渡航し、ニューヨーク、シカゴなどをにも製品を広めて行きました。

世界に拡大する中で、再度模造品が出回る危機に見舞われます。
しかし、ジョルジュは対策として、モノグラム・モチーフ(「LV」のイニシャルと星と花を組み合わせたモチーフ)を考案し、偽物を圧倒的に減らすことに成功しています。
ここに現在に渡るまで、象徴となるモノグラムが誕生します。

モノグラム・キャンバス
出典:LEON

その後も、1959年にはジョルジュの息子で3代目のガストン・ヴィトンが今でも、定番商品となっているバッグ「スピーディ」や「キーポル」の素材となっているモノグラムキャンバスを生み出します。

「スピーディ」や「キーポル」はこれ以前に販売されていましたが、定番製品に次々とモノグラムキャンバスが使用されることで、ルイ・ヴィトンの人気はさらに急速に拡大して行きました。

人気はアジアへ拡大、日本初のルイ・ヴィトンストアオープン

人気はアジアにも拡大して行きます。
1978年には、東京と大阪にルイ・ヴィトンストアが日本初上陸します。
これを皮切りに日本国内に店舗を増やし、現在までで56店舗まで増えています。

また、1989年には中国初の店舗を香港にオープン。

現在は世界で460店舗以上まで拡大する大手ブランドへと成長しました。

世界最大のブランド帝国へLVMH モエヘネシー・ルイ ヴィトンが誕生

出典:Seeking Alpha

ルイ・ヴィトンとして人気を不動のものにしていく中、モエ・へネシーとの合併により、1987年にLVMH モエヘネシー・ルイ ヴィトンが誕生します。

これにより世界最大のブランド帝国を築き上げました。
傘下にはディオール、セリーヌ、ブルガリ、ジバンシー、フェンディなど名だたるブランドばかりです。

その後、クリスチャンディオールを買収したベルナール・アルノーが次々とブランドを買収して行きます。さらにLVMHの株を取得し実権を握ると、LVMH会長兼CEOに就任しました。アルノーの目標であった世界屈指のラグジュアリーブランドグループを誕生させるという目標を達成しています。
最近では、ティファニーも傘下に加え、世界で5,500店舗以上を運営する企業となり、さらに成長を続けています。

ルイ・ヴィトンの飛躍を支えた歴代デザイナー

ルイ・ヴィトンがデザイナーを入れ始めたのは、1997年のプレタポルテコレクションに本格的に参入した頃です。設立が1854年ですので、だいぶ後になってデザイナーを入れ始めたことがわかりますね。

ここからはルイ・ヴィトン飛躍を支えた歴代デザイナー4人についてご紹介します。

マーク・ジェイコブス(WOMENS・MENS)1997〜2013年

1人目は、あの有名ブランド、マーク・ジェイコブスの創業者マーク・ジェイコブスになります。
1997年から2014年春夏コレクションまで、ルイ・ヴィトンの服飾部門の商品デザインを、WOMENS商品はマーク単独で、MENS商品をキム・ジョーンズと共同で、自身のブランドでもあるマーク・ジェイコブスを運営しながら手掛けていました。

エナメル・デニム・ファーなどの素材を使用し、色彩美によってルイ・ヴィトンのクラシカルなイメージを一新するという斬新なデザインで話題を集めました。

さらに、現在では定番の「ヴェルニライン」を生み出し、ルイ・ヴィトンを一流のブランドとして押し上げた張本人であると、世界中から高く評価されています。
親日家でもあったことから、ルイ・ヴィトンと日本人アーティストとの初コラボレーションも果たしています。

モノグラム・ヴェルニライン・レザー
出典:LEON

ポール・エルバース(MENS)2006〜2011年

2人目は、メゾンマルタンマルジェラ(※メゾンマルジェラ=Maison Margiela)でメンズコレクションのデザインを監修していた凄腕デザイナーのポール・エルバースです。
マーク・ジェイコブスのもとで、2006〜2011年の間の5年間、MENSのディレクターとして活躍しました。

ポール・エルバースが発表した「モノグラム・マカサー」は、現在ではMENSの定番ラインとなっています。

WOMENSラインの印象が強く、“MENS”向けのアイテムが少ないのが課題でしたが、モノグラム・マカサーを発表し、世界中のメンズにアピールしたことでメンズラインが強化され、ルイ・ヴィトンのメンズラインが充実していくきっかけとなりました。

モノグラム・マカサーは、モノグラム・キャンバスにマットな黒レザーでメリハリを効かせることでモダンで新鮮に見えます。
出典:LEON

キム・ジョーンズ(MENS)2011〜2018年

3人目は、現在ディオールのメンズとフェンディのレディスラインのアーティスティックディレクターに就任しているキム・ジョーンズです。

「ラグジュアリーファッション×ストリートファッション」を見事に融合させることで知られるジョーンズは、ルイ・ヴィトンでもその能力を発揮して、アンブッシュ、フラグメントデザイン、シュプリームなどと次々とコラボを実現しました。
特にシュプリームとのコラボは、世界規模で旋風を巻き起こし、ポップアップストアに何千という人々が列に並ぶという人気と話題性を作り、売り上げの面でも業界史上最大の規模になりました。

これよって、新しいストリートカルチャー領域を手にすることができたのでした。

ルイ・ヴィトン × シュプリームコラボ
出典:Unsplash

ニコラ・ジェスキエール(WOMENS)2013年〜

4人目は、バレンシアガのデザイナーを15年間担当し、低迷していたバレンシアガに人気復活と黄金時代をもたらしたニコラ・ジェスキエールです。
マーク・ジェイコブスの後任として、ルイ・ヴィトンにジョインしました。

日本を代表するファッションデザイナー山本寛斎とのコラボや、人気ゲームファイナルファンタジーとのコラボを成功させました。

ヴァージル・アブロー(MENS)2018年〜2021年

5人目は、ハイエンドのストリートブランドオフホワイトの創設者ヴァージル・アブローです。

ストリートとラグジュアリーをミックスさせた、新しい価値観とスタイルデザインが評判を呼び、今までにないさまざまなスタイルやアイテムを多く世に発表しています。
裏原宿カルチャーに強く影響を与えられたと語っており、NIGO、藤原ヒロシ、高橋盾といった日本人アーティストともコラボしています。親日でもあることも有名です。

2021年、癌により41歳という若さで他界しています。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

歴史を紐解くことで、ルイ・ヴィトンがどのようにして世界的なラグジュアリーブランドとなったのか、成長の過程を理解することができたのではないでしょうか。
ルイ・ヴィトンに限らず、愛され続けるブランドには成長してきた歴史があります。
ご興味がある方は他のブランドの歴史を調べてみると、面白いかもしれません。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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